バッドアス!

badass[2003年トロント映画祭、2004年サンダンス映画祭 ベルリン映画祭]正式出品
2004年フィラデルフィア映画祭観客賞受賞

製作・監督・脚本・出演:マリオ・ヴァン・ピーブルズ
原案:メルヴィン・ヴァン・ピーブルズ(「スウィート・スウィートバック」より)
製作総指揮:マイケル・マン、ジェリー・オフセイ
2003年/アメリカ/108分/ドルビーデジタル/原題:BAADASSSSS!
提供:キングレコード
配給:ミラクルヴォイス

マリオ:「俺が親父の『スウィート・スウィートバック』をやるのはどう思う?」

メルヴィン:「リメイクか?」

マリオ:「いや、親父が『スウィート・スウィートバック』を作ってた時代すべてを描きたいんだ。“バッドアス”の誕生をね。親父の書いた『スウィートバック』の本(※)にもとづいてさ」

 

メルヴィン:「わたしを演じるのは?」

マリオ:「俺だよ」

メルヴィン:「監督もするのか?」

マリオ:「そうだよ、親父がやったみたいにね」

※映画『スウィート・スウィートバック』のメイキング本

 『バッドアス!』('03)は、アメリカ白人社会を震撼させたと言う意味では、“革命”と表現しても過言ではない1本の映画の製作現場を描いた作品だ。その映画はメルヴィン・ヴァン・ピーブルスの『スウィート・スウィートバック』。

 メルヴィン・ヴァン・ピーブルスとは、本作『バッドアス』で制作・監督・脚本・主演を務めるマリオ・ヴァン・ピーブルスの父親であり、スパイク・リーをして“ゴッドファーザー・オブ・ブラックシネマ”と呼ばしめた、黒人ではじめてインディペンデントによる映画制作の道しるべを示した男。つまり、ハリウッドの“ゲームの規則”を変えた男だ(そして現在でもハリウッドからは排斥されている)。

 そしてその彼の『スウィート・スウィートバック』とは、『スーパー・フライ』、『コフィー』などその後のブラックスプロイテーション旋風の先駆けとなるブラック・ムーヴィーのオリジン/バイブルのこと。

 メルヴィンは当時、自分の話にまったく耳を貸さないハリウッドに見切りをつけて、自身で集めたわずか15万ドルの資金をもとに『スウィート・スウィートバック』の制作にとりかかった。非ユニオンにして他民族に渡るクルーをひきつれて、自らも主演・監督・脚本・音楽など1人7役をこなしながらわずか20日間ほどで完成させたそのフィルムには、かつてハリウッドでは観られることのできない振る舞いが目撃された。それまでハリウッドにおいて「イエッサー」「ノーサー」しかしゃべらない奇妙な召使いとしてしか描かれてこなかった黒人たちが、このフィルムのなかでは白人社会に対して中指を立てていた。そこには人々の前で意志を表明する黒人の姿があった。白人警官の「とまれ!」の命令に従わない黒人の存在は、いまでは考えられないことかも知れないが、この映画を待つまで妄想することすら許されなかったのが現実なのだ。また、ファーストアルバムを出したばかりの当時無名に等しかったアース・ウインド&ファイアを起用しつつそれをズタズタに繋いでみせたコラージュ術は、映画における音楽のあり方を変えた、という意味でも革命的だった。『スウィート・スウィートバック』はまさに、黒人のための黒人による映画だった。これこそまさにブラックシネマ誕生の瞬間だった。

 そんな『スウィート・スウィートバック』が完成したとき、メルヴィンのポケットには13ドルしかなく、そして彼の片目の視力は失われていたが、その犠牲は無駄には終わらなかった。『スウィート・スウィートバック』は、わずか2館の上映というハンデを背負いながらも、ブラックコミュニティからの絶大な支持を集めた。ブラック・パンサー党は“革命的なマスターピース”と賞賛して、党員に鑑賞をうながした。結局、この革命的な作品は『ある愛の詩』を蹴落として、71年のインディペンデント映画の興行収入ランキング第1位に登りつめた。最終的な興行収入は1750万ドルだった。入場料が2ドルの時代の話だ。

 以上の話は神話でもなければ、歴史教科書に載っているエピソードですらない。ほんの30年ほど前の現実だ。そしてそれは、メルヴィンの息子マリオが描いた本作『バッドアス!』によって、はじめてあらわになる。

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