スタッフ

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 『白くまになりたかった子ども』の企画が立ち上がったのは1995年のこと。それはデンマークの偉大なアニメーターであるヤニック・ハストラップ監督と、ベン・ハーレーのストーリー、才能豊かなミッシェル・フェスレールの素晴らしい脚本、ブリュノ−・クレの作りだす音楽によって実現された。
 ミッシェル・フェスレールは言う、「鳥やシロクマ、そしてクジラにセリフをつけることができるなんて、なんという自由、なんという幸福だろう……」と。彼は20歳のとき、リヨンに“アート”と“エッセイ”という2つの映画館をオープンし、話題となった人物。その後、フランス3でフィクションとドキュメンタリーを監督。はじめてのシナリオを書き終えたころ、シャルル・ジュリエ原作の『めざめの時』の共同脚本の依頼を受けた。以来、ジェラール・コルビオ監督の『カストラート』、パトリス・ルコント監督『リディキュール』の共同脚本、アニメーション、テレビドキュメンタリーなど20本ほどの作品を手掛けている。

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リアリティを求めてグリーンランドへ

 本作品の440万ユーロという製作費のほとんどは、フランスとデンマークによって集められた。2001年2月に始まった製作には約20ヵ月を要し、グラフィックとアニメーションのクリエイトはデンマークで、映像のポスト・プロダクション、特殊撮影、音楽製作などはフランスで行われた。
 この神秘的な物語をリアルなものにするために、スタッフたちは、何度もグリーンランドを訪れ、そこに住む人々の伝統的な生活習慣を観察し、独特の色彩や音、雰囲気を分析した。「アザラシの猟をしている狩人らと生活をともにし、遠い未開の地に生きるシロクマの生態を改めて知ることもできました」とプロデューサーのマリ−・ブロは語っている。

 マリ−・ブロは、1996年にヤニック・ハストラップ監督とプロダクション、ダンスク・テネフィルム2(Dansk Tegnefilm2)を設立。長編アニメーションのほか、芸術色の強い短編やテレビ作品などを手掛けており、様々な国のアニメーターやスタッフによって作られている作品のクオリティの高さには定評がある。

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レ・ザルマトゥール・プロダクション

 また、おなじく本作品のプロデューサーであるディディエ・ブリュネールはこう語る。「グラフィズムはシナリオ同様、アニメーションであるこの作品に独特な様式とキャラクターを与えている。画風は表情に富みながらも簡素であり、背景は独特な筆のタッチで描かれたシンプルな水彩画で、絵画の秀作を思わせ、決してなめらかすぎず、かといって写実的でもない。登場人物のデッサンはカリグラフィーのようで、フォルムは洗練されている」。

 ディディエ・ブリュネールは、1993年にレ・ザルマトゥール・プロダクション(Les Armateurs Production)を設立。ミッシェル・オスロ監督の『キリクと魔女』で大きな興業成績を収めた。また、シルヴィアン・ショメ監督の『ベルヴィル(仮)』は、フランスで公開されるやいなや、100万人を動員する国民的大ヒットを記録、本年度アカデミー賞において、長編アニメ映画賞・歌曲賞の2部門にノミネートされる快挙を成し遂げ、欧米中を熱狂の渦に巻き込んだ。ここ数年のヨーロッパ・アニメーション・ブームを語るときにはずせない最注目のプロダクションである。

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魔法の音を吹き込むブリュノー・クレ

 スタッフたちは口をそろえてブリュノー・クレとの出会いをよろこんでいる。「軽妙でいて重厚なその調べは、映像が醸し出す雰囲気をいっそう盛り上げ、エモーショナルなものに仕上げました」とはマリ−・ブロ。ディディエ・ブリュネールも「この物語の神秘、胸が張り裂けるような痛み、そして美しさを表現する見事な音楽を書いてくれた」と絶賛。セザール賞を2回受賞しているブリュノ−・クレ。物語に自然と寄り添う彼の音楽が、この素晴らしい作品の重要な位置を占めているのは間違いない。

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ひとりの少年の選択の物語

 この作品は単なるおとぎ話でもなければ、ある神秘的な物語というだけでもない。自然の摂理に反するひとつの選択の物語である。
「『白くまになりたかった子ども』は家族や社会が規定する自分ではなく、自分自身がイメージする自分になる自由を描いた作品だ。美しくも困難な選択をするためには、自由というもののあらゆる側面を探検しなければならない。そうすればその選択は、人間の知性や無限の想像力を四次元の世界へと導いてくれる。無意識、夢、情熱など、いくつかの言葉で語ろうとしても決して言い表わすことができない世界へ……」、ディディエ・ブリュネールはそう語っている。
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